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三百年の妻〜常夜の花嫁〜
三百年の妻〜常夜の花嫁〜
Author: 琉球狸

第一話 満月の湖

Author: 琉球狸
last update Last Updated: 2026-03-05 18:16:25

「……ハァ……ハァ……」

夜の森を、荒い呼吸が裂いた。

「助けて……お願い……誰か……」

足をもつらせ、少女は振り返る。

月明かりの下、白い影が立っていた。

「良い子だから……さぁ、こっちへおいで」

優しい声だった。

逃げ場は、もうない。

「いやよ……来ないで……!」

悲鳴は途中で途切れた。

水面が、静かに揺れる。

そして、何もなかったかのように——夜は閉じた。

常夜湖の朝。

死体が見つかったのは、午前五時だった。

若い女が、水面に浮いていたらしい。

俺がその連絡を受けたのは、朝食の席だ。

「また……女子大生だって」

そう言うと、向かいに座る妻は味噌汁を一口飲み、小さく首を傾げた。

「二十歳前後なの?」

「らしい。……また聴取で仕事が止まる。」

「最近は、残業続きだもんね。

いつもお疲れ様。」

妻は、ふっと笑った。

俺は白瀬孝一。

常夜湖の管理業務を任され、久遠市に越してきて三年になる。

妻の名は、白瀬いろは。

どこにでもいる、仲の良い夫婦だ。

.......少なくとも、俺はそう思っている。

常世湖での事件は今回で三人目だった。

全員、女子大生。

全員、失血死。

全員、常夜湖の近く。

「怖いわね。本当に……」

いろはは湯呑みの縁をなぞる。

その指が、やけに白く見えた。

午後。

仕事帰りに、ひとりの女子大生と会った。

桐野澪。

湖底に沈んだ旧久遠村を、卒業レポートにまとめているらしい。

旧久遠村...今や、この常世湖に沈んでいる村。

とても昔の話だが洪水災害により壊滅状態に...

100年以上前の話だ。

そこに興味をもつ若い子も珍しい。

「過去の洪水災害で資料を調べてみたら

面白いものを見つけたんです!」

彼女は目を輝かせて言った。

「当時、常夜流しと言う言い伝えがありまして...

その内容がまた奇妙で...」

胸の奥が、わずかにざわつく。

「しかも、その年の満月の日に——」

「こらこら、君はオカルトをレポートに

あげるつもりかい?

なら私は専門外なんだが...」

澪は言葉を飲み込んだ。

「……いえ、...すいません。」

少々強く言いすぎたかな?...と反省しつづも

「ありがとうございます!

またきますね!」と会議室を後にする姿を見て

安心する自分がいた。

夜。

風呂上がりのいろはは、長い髪を拭きながら言った。

「ねえ、あなた」

「ん?」

「今日会った子、可愛かった?」

なぜ、そんなことを聞く。

「……なんでだよ」

「なんとなく」

完璧な笑顔。

その奥が、見えない。

深夜。

夢なのか現実なのかわからない事態に

陥った。

その意識の中では...

目を覚ますと、隣にいろははいなかった。

玄関の扉が、わずかに開いている。

外は満月だった。

常夜湖のほとりに、彼女は立っていた。

水面に向かって、何かを囁いている。

「——まだ足りないの」

風が止む。

湖が、かすかに揺れる。

ゆっくりと、彼女が振り向く。

月明かりに照らされたその顔は——

昼間よりも、若く見えた。

「二十歳って……いちばん綺麗な年頃よね」

その瞬間。

湖面に、沈んだはずの村が映る。

鳥居。

社。

そして、水の中から伸びる無数の白い手。

その中心に立つ、白い影。

月が雲に隠れた。

もう一度見ると、そこには何もない。

振り返ると、いろはが微笑んでいた。

「どうしたの?」

その笑顔を、俺は知っているはずなのに。

なぜか、初めて見る気がした。

隣にいるはずの妻が、いつ消えるのか分からない。

朝。

目を覚ますと、いろははキッチンに立っていた。

エプロン姿で、味噌汁をかき混ぜている。

「おはよう」

いつもと同じ声。

いつもと同じ笑顔。

昨夜のことを、覚えているのか。

「昨日、外に出ただろ」

「え?」

きょとんとした顔。

「満月、綺麗だったから少しだけ散歩したの。起こしちゃった?」

……それだけ?

「湖まで行ったのか?」

「どうして?」

逆に問い返される。

視線が、まっすぐすぎる。

「いや……なんでもない」

テーブルに置かれた味噌汁から、湯気が立つ。

その白さが、湖面の霧を思い出させた。

午前。

管理事務所に向かうと、警察車両が止まっていた。

また一人、遺体が上がったらしい。

「四人目だ」

若い巡査が言った。

「全員、血を抜かれてる」

冗談みたいな言葉だが、顔は真剣だった。

「獣の仕業でもない。刃物痕もない」

血だけが、なくなっている。

脳裏に浮かぶ。

——まだ足りないの。

俺は思わず湖を見た。

今日の水面は、やけに静かだった。

昼過ぎ。

桐野澪から連絡が入った。

「少し、お時間いただけますか?...

昨日の話、続きがあるんです。」

...あの子は、懲りずにまた...

「あぁ、すぐに向かうよ。...」

彼女は湖畔のベンチで資料を広げていた。

「旧久遠村が沈んだのは三百年前の洪水。

記録では、村人は全員死亡。

これは間違いじゃないんですよね?」

「そうだったはずだが..どうしたんだ?」

「生存者が残っているはずなんです。」

「どうして分かる?」

「年表が、変なんです」

彼女は指でなぞる。

「洪水の翌年から、常夜流しが復活している。

誰が再開させたのか記録がない。

でも、この資料には

供物の記録だけは残っている」

供物。

「齢二十になる女 毎年五人。」

背筋が凍る。

「それが百年続いてる」

「……百年?」

「その後、急に途絶えるんです」

風が吹く。

資料が揺れる。

俺は澪に注意喚起も含め、言葉を返す。

「あのなぁ、君のオカルト好きもわかったが

最近の連続した事件。

知らないわけじゃないだろ?

君も危険だ。

こう言った内容ならもう立ち寄らせないぞ。」

澪の話を全く聞く気がない訳ではないが...

きちんと注意をしなくては...

俺の注意に、満足そうな顔をして

話を続ける。

「そうなんですよ!!

資料に残ってた常夜流しは5日間と

ありました。

そして...5日目の日付を見たら

今月と一緒です。

今、常夜湖で起きている事件って...」

「偶然じゃないかも...って。」

澪は笑ったが、その目は笑っていなかった。

その時、スマートフォンが震えた。

いろはからのメッセージ。

【今どこ?】

たったそれだけ。

だが、なぜかそれだけ...が不穏に感じた。

「奥さんですか?」

澪が覗き込む。

「……ああ

ちょっと待ってくれ」

返信を打とうとした瞬間、二通目が届いた。

【その子といるの?】

......!?

指が止まる。

見られている?

周囲を見渡すが、誰もいない。

「どうかしました?」

「いや……」

俺は立ち上がった。

「今日はもう帰れ。

さっき話した通りだ

湖に近づくな」

「え?」

「頼む」

自分でも理由は説明できなかった。

だが、強く予感があった。

——これ以上、関わるな。

夕方。

家に戻ると、いろはが台所で魚を捌いていた。

包丁の動きが、異様に正確だった。

「早かったのね。

今日のお仕事はどうだった?。」

いろはの話を被せるように、声をかける。

「澪のこと、どうして知ってる」

背中越しに、いろはが止まる。

「何のこと?...」

「お昼のメッセージだ」

沈黙。

それから、ゆっくりと振り向く。

「だって、あなた」

微笑む。

「顔に書いてあるもの」

冗談のようで、冗談に聞こえない。

「二十歳くらいの子、好きでしょう?

若くて...可愛くて...」

その声が、やけに甘い。

「……やめろ」

「私も、二十歳だったのよ」

包丁がまな板に当たる。

トン、と乾いた音。

「あなたに会った時」

違う。

俺といろはが出会ったのは三年前だ。

「何言ってる」

「覚えてないの?」

目が、暗く沈む。

その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

強く、何度も。

ドアを開けると、澪が立っていた。

ひどく息を切らしている。

「助けてください。」

「どうした?」

「帰る途中から、ずっとナニカにつけられてて...」

その背後。

遠くの道の端に、黒い影が立っている。

月は、まだ昇っていない。

だが影は、確かにこちらを見ていた。

「とりあえず、中に入って!...」

俺は、急ぎ澪を家の中に入れて

鍵を閉めた。

いろはが、俺の背後から顔を出す。

「まあ……可愛い子ね。

お客様?」

澪が硬直する。

「奥さん……ですよね?」

「ええ...はじめまして...」

にっこり笑う。

その笑顔に、澪の肩が震えた。

「あなた、中に入れてあげて...

お名前は?」

「すっ..すいません!!桐野と申します。」

「桐野さんよろしくね。

あなた私は食事の支度があるから...

何かあったら声をかけて

どうぞごゆっくり...」

いろはの声に澪は震えながら返事をする。

「はい!」

......「五人目...」.....

いろはは、何事もなかったかのようにキッチンへ戻った。

包丁の音が、また規則正しく響きはじめる。

トン。

トン。

トン。

澪は、青ざめた顔で俺を見た。

「今……聞こえましたよね?」

「何が」

喉が、うまく動かない。

「……五人目って」

その瞬間、包丁の音が止まった。

沈黙。

嫌な静けさが、家の中を満たす。

キッチンから、いろはの明るい声がする。

「ねえ、あなた」

俺の背中に、冷たい汗が流れた。

「お味噌汁、二人分でいい?」

澪の指が、俺の袖を掴む。

震えている。

コンロの火が、ぼっと強くなる。

「それとも——」

一拍。

「三人分、いるかしら?」

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